基礎知識
「人事評価制度はいらない」論にどう向き合うか
「うちには人事評価制度はいらないと思っている」——中小企業の経営者と話していると、こう切り出されることがあります。反発というより、率直な実感として語られることが多い言葉です。社員数十人の会社で、評価に時間と手間をかけるより、日々の仕事を回すことを優先したいという感覚は、決して珍しいものではありません。実際、評価制度を導入したものの数年で形だけになり、結局は社長の感覚に戻ってしまった会社も見てきました。この記事では、「人事評価制度はいらない」という意見がどのような背景から生まれるのかを整理したうえで、その意見にどう向き合うのが実務的に妥当かを検討します。人事評価制度の全体像は人事評価制度とは|中小企業のための完全ガイドで解説しているので、制度の骨格を先に確認したい方はそちらもあわせてご覧ください。
「人事評価制度はいらない」論の中身
この意見をよく聞くと、「評価そのものが要らない」と言っているケースは少数です。多くの場合、実際に不要だと感じているのは、評価シートの記入・評価会議・面談準備といった、制度を回すための事務作業のほうです。
社長は日々の仕事ぶりを見ていて、誰が頑張っていて誰がそうでないかは、感覚として分かっている。それなのに、わざわざ紙に書いて点数を付ける手間をかける意味が分からない——というのが、発言の実態に近いことがほとんどです。この区別を最初につけておかないと、議論がかみ合いません。「評価しない」ことと「制度化しない」ことは、別の話だからです。
なぜこの意見が生まれるのか
背景を分解すると、主に3つの事情が重なっています。
- 過去に重すぎる制度で失敗した経験がある——書籍やコンサルタントから勧められた項目数の多い評価シートを導入し、運用が続かず自然消滅した経験があると、「評価制度」という言葉自体に苦い印象が残ります
- 社員数が少なく、社長が全員を直接見ている——10人前後の会社では、社長が全社員の仕事ぶりを毎日目にしており、改まった評価の仕組みがなくても、実感としては困っていないことが多くあります
- 評価に伴う面談や書類作成の手間を負担に感じている——現場の管理職を兼務する社長にとって、評価のための時間を新たに確保すること自体が、優先順位の低い作業に見えてしまいます
いずれも、それなりに筋の通った理由です。頭ごなしに「評価制度は必要不可欠」と説くのではなく、この事情を踏まえたうえで話をする方が、経営者にも届きやすくなります。
評価制度がなくても、実は「評価」はしている
ここで見落とされがちなのが、評価制度という形を取っていなくても、昇給や賞与を決める場面では、必ず何らかの評価が行われているという事実です。「あの人は頑張っているから多めに」「あの人は今年は伸びなかったから据え置き」——こうした判断は、制度がなくても社長の頭の中で行われています。
問題は、その判断基準が言葉になっていないことです。基準が言語化されていないと、同じような働きぶりの2人の間に差がついたとき、その理由を誰にも説明できません。評価制度がない会社が、実際にどのような壁にぶつかりやすいかは、「評価制度がない会社」がぶつかる3つの壁で具体的に整理しています。「評価制度はいらない」と言いながら、実質的には評価をしている——この矛盾に気づくと、議論の焦点が「評価するかしないか」から「評価の基準をどこまで言葉にするか」に変わります。
「いらない」と言えるのは、何人までか
「人事評価制度はいらない」という判断が、実務上そのまま成立する会社は、社長が全社員の働きぶりを日常的に把握できている規模に限られます。目安としては、社員が10人前後までの会社では、社長の実感ベースの判断でも大きな不満は出にくく、無理に制度化しなくても回っているケースが少なくありません。
一方で、社員数が20〜30人を超えたあたりから、社長が全員を直接見きれなくなり、間に管理職を挟んで評価を伝える必要が出てきます。ここで基準が言語化されていないと、管理職ごとに評価の目線がばらつき、社員から見た納得感が急に下がります。「いらない」という判断は、規模が小さいうちは合理的でも、組織が育つにつれて成立しにくくなる、という時間軸のある話だと捉えるのが実務的です。
反対意見の奥にある本当の心配ごと
「人事評価制度はいらない」という発言の奥には、もう一段掘り下げると別の心配ごとが隠れていることがあります。よくあるのは、次の3つです。
| 心配ごと | 具体的な中身 |
|---|---|
| 社員から監視されていると受け取られないか | 評価される側が「粗探しをされている」と感じ、かえって関係がぎくしゃくするのではという不安 |
| 一度作ったら形骸化するのではないか | 過去の失敗経験から、また同じように運用が続かず終わるのではという懸念 |
| 評価のための時間が本業を圧迫しないか | 現場が忙しい中で、評価会議や面談の時間をどう捻出するかという現実的な負担感 |
これらはいずれも、「評価制度そのものへの反対」というより、「重い制度を運用しきれるか」という懸念です。だとすれば、答えるべきは「制度を作るか作らないか」ではなく、「どこまで軽く始められるか」という設計の話になります。
制度を「重くしない」という選択肢
多くの中小企業にとって現実的なのは、いきなり本格的な評価制度を組むのではなく、負担の小さい形から始めることです。評価項目を業績・行動・スキルの3軸に絞り、各等級で5〜8項目にとどめれば、管理職が日常業務の延長で判断できる粒度に収まります。面談も、四半期に一度15分程度から始めれば、現場の負担は最小限で済みます。
着手する順番を間違えると、シートだけ立派で運用されない箱物になりがちです。何から手を付ければよいかは、人事評価制度づくり、最初の3ステップで具体的に整理しています。「評価制度はいらない」と感じている経営者ほど、実は「重い制度はいらない」と言っている場合が多く、軽い形から始める選択肢を知らないだけ、というケースが少なくありません。
まとめ
「人事評価制度はいらない」という意見は、多くの場合、評価そのものへの反対ではなく、重い運用負荷への懸念です。社員が10人前後までなら、社長の実感ベースの判断でも大きな支障は出にくい一方、20〜30人を超えると基準の言語化が必要になってきます。
大事なのは、「制度を作るか作らないか」の二択で考えないことです。要点を整理すると——
- 「評価しない」ことと「評価を制度化しない」ことは別の話である
- 制度がなくても、昇給・賞与の判断には必ず何らかの評価基準が働いている
- 反対する経営者の本音は、多くの場合「重い制度への懸念」である
- 社員数の増加に応じて、基準を言葉にする必要性は高まっていく
「いらない」という声を無視するのではなく、その奥にある事情を踏まえたうえで、負担の小さい形から設計することが、結果的に長く運用できる制度につながります。